「オグリ」の愛称で親しまれていたオグリキャップが今日亡くなったそうです。
そう聞くと、また1つの時代が過ぎ去ったことすら感じます。
今は200万円の追加登録料を払えば、もともとクラシック登録がなくてもクラシックに出走できることになりましたが、これはオグリキャップの存在が大きく影響したものと思われます。
中央転籍初戦のペガサスS(今のアーリントンC)勝利を皮きりに、毎日杯、京都4歳特別、ニュージーランドTと4歳重賞の裏街道を連勝,そして初めての古馬との勝負となった高松宮杯(当時は七夕賞と同日の、夏の中京最終週に2000mで実施。G2)でも並みいるG1級古馬をものともせずに快勝、そして夏の休養を挟み、秋初戦の、天皇賞秋への重要なステップレースである毎日王冠でも勝利。
1番人気はオグリキャップでした。
レースは追い込み馬のタマモクロスが好スタートから珍しく先行する競馬。これをオグリキャップが追いかける展開となりました。直線に入って、タマモクロスが先頭に立ち、オグリキャップが猛然と追いかけ、1馬身差まで迫りました。
しかしこの差は最後まで縮まらず、タマモクロスが1着。オグリは2着でした。
続くJCもタマモクロスが2着、オグリが3着でした。
このままタマモクロスの壁をオグリキャップが越えられないのか、と思われた、タマモクロスの引退レースtなる有馬記念。ここでオグリキャップが勝利し、初めてタマモクロスに先着し、初のG1タイトルを手にしました。
この馬の真骨頂は何と言っても5歳時。
そして、次走のマイルCS。この時点でナイルCSとジャパンカップの連闘がスケジューリングされており、それもあってマイルCSはやや余裕残しの仕上げでした。それもあって、直線ではバンブーメモリーに突き放され、とても届かないかと思われましたが、残り100mでオグリが猛烈な伸びを見せ勝利。主戦の南井騎手(現在は調教師)は「自らの騎乗ミスをこの馬の底力で勝ち切ってくれた」と涙していたのが思い出されます。
そして連闘で挑んだジャパンカップ。さすがにローテーション的に無理があるのでは?ということで、本命視されていませんでした。しかし、レースでは、直線先に抜け出したニュージーランドの牝馬ホーリックスに、南井騎手の鞭に応え、外から猛烈な勢いで伸びて、ホーリックスと壮絶な叩き合いになりました。
連闘でこのパフォーマンスを見せたことも、オグリ伝説の一つでしょう。
しかし無理が祟ったのか、その年の有馬記念では5着。
翌年は安田記念から始動し、休み明けにもかかわらず1600mを1分32秒4という、当時の日本レコードで快勝。
秋は天皇賞からの始動でした。
ダントツの1番人気でしたが、(確か)6着止まり。
続くジャパンカップでも見せ場なく11着と、オグリの生涯で優唯一の2ケタ着順で惨敗。
そして、引退レースの有馬記念を迎えました。
多くの人が「オグリは終わった」と感じていました。
しかし、大方の予想に反して、4コーナーを楽な手応えで2,3番手で直線へ。直線先頭に立つと、メジロライアンの追撃を振り切って堂々ゴールイン!
場内は「オグリ、オグリ」と鞍上の武豊騎手へ「ユタカ、ユタカ」コールが自然発生的に起こり、感動の渦に包まれました。(ちなみにこのレースの実況で、解説者だった大川慶二郎氏が最後の直線で「ライアン!ライアン!(メジロライアン)」と絶叫していたことも有名です)
後々勝因として、オグリキャップは不器用で直線で手前を変えないまま走ることが多かったのですが、武豊騎手が肩ムチを合図に手前を変えることに気づいていて、そのため最後まで脚色が衰えなかった、と言われていますが、真偽の程は定かではありません。が、これも武豊伝説の1ページとなりました。
その後引退して種牡馬になりましたが、初年度産駒に3歳(今の2歳)オープンのききょうSを勝ったオグリワンと、クイーンS(当時はエリザベス女王杯へのステップレースで、9月最終週に中山で実施)2着のアラマサキャップくらいが代表産駒で、ほとんど実績を残せませんでした。
小生もオグリが生きてるうちに会いたかったなぁ。ホントに。
通算で重賞12勝。今はダート交流重賞で、相手の弱そうな所に行って勝ちまくるスマートファルコンのような馬がいるのであまり重みがありませんが、中央の重賞だけで12勝した馬はあまりいないんじゃないでしょうか。
地味な血統で、地方競馬出身にもかかわらず、連戦連勝。しかしクラシック登録がないため、実力上位を誰もが認めながら、クラシック出走は叶わず。4歳時の有馬記念で偉大なる葦毛の先輩タマモクロスを超え、5歳時にはマイルCS勝利、連闘で臨んだJCで世界レコードと同タイムでの2着。そして引退レースの有馬記念で奇跡の復活・・・
オグリの出走したレースのほとんど全てにドラマ性があったのではないでしょうか。
そういう意味でも、記録もそうですが、記憶に残る名馬でしたし、小生も大好きな馬の1頭でした。
25歳だったので馬としては長命だったのでしょうが、残念です。
寂寞の念を禁じ得ません。
今となってはオグリキャップの冥福を祈るよりありません。